
Five Questions with DANE PETERSON
JW: 現在、あなたのホームはどこですか? また、それはあなたのサーフィンや仕事にどのような影響を与えていますか?
DP: 私は美しい妻のケイラと 2 匹の犬、コスモとルーと一緒にウエストLAに住んでいます。ロサンゼルスでの生活には、日々の仕事やサーフィンに影響するさまざまな支障、障害があります。まず、人口が非常に多く車の渋滞がとてもひどい。そのため日々の予定や波のコンディションを読んで、それらをどう乗り切って海にたどり着くか、正確な状況判断が必要になります。ここはサーフィンや仕事において多様性に富んだ街です。さまざまな人々や環境に囲まれて、毎日クリエイティブなビジョンを追求し、インスピレーションを得られることはとてもラッキーだと思います。
JW: あなたはさまざまなクリエイティブ媒体(サーフボードのシェイプ、写真、サーフィン、クリエイティブ・ディレクション)の才能に優れていますね。これらの分野で自身のバランスをどのように見つけているのですか? これらすべてを通して何を表現したいのですか?
DP: 自分のためにやろうと決めた、たくさんのことを同時にこなすのは簡単ではないです。そして、そのすべてにバランスを見つけようとしています。日々の生活においても常に良い結果を目指して努力しています。そして、私の創造の側面の1つが別の道に活力を与える日もあれば、物事がうまく進まない日もあります。しかし、それはすべて創造のプロセスの一部です。私はチャレンジすることに惹かれます。もしこれが簡単なことなら、私はおそらく何もやっていないでしょう。私はそのすべてに熱心に取り組み、道を切り開く方法を見つけ、自分の時間とやり方で物事を理解します。頑固だと言われるかもしれませんが、それが私のやり方なのです。私はまだ自分が本当に表現したいことを模索しています。それは、まだ成熟した大人になりたくないということなのかもしれません。
私は自分の手を使ってクオリティの高い"モノ"を作るのが好きなので、日々それを楽しみたいと思っています。撮影の構想を練り、それを隅々まで実現させること......写真を撮り、フィルムを現像してスキャンすること、あるいはフォームをかんなで削り、人を喜ばせるサーフボードを作ることなど。私は毎日起きて、自分の直感に従い、私を最も強く呼ぶ方向へと進みます。つまり、私は自分の情熱で生きることができる人間であることは非常にラッキーで、私の中には多くの要素があるので、それらをすべて表に出して表現したいと考えています。
JW: マリブはサーフィンの歴史において非常に重要な位置を占めており、多くのアイコンを育ててきました。マリブの波に初めてパドルアウトしたとき、あなたはそのことに気付いていましたか? 今はどうですか?
DP: 私は12歳のとき、周りからリスペクトされていたサーファーでシェイパーでもあった父ドンの下、サーフィンを始めました。父は歴史のあるポイントブレイクに関する豊富な知識やレジェンドたちのエピソードを教えてくれましたが、私はただ海に入ってサーフィンを楽しみたい、全く落ち着きのないキッズでした。ただ40代前半になった今、話は別です。
ポイントに繰り出した頃に一緒にサーフィンしていた人たちのことは、よく覚えています。ランス・カーソン、デニー・アーバーグ、その当時の若い世代 (90年代前半)、ジョシュ・ファーブロウ、ジミー・ガンボア、ブリタニー・レナードなどです。彼らが描いていたライン、彼らがしていたノーズライディング。その頃のセッションの思い出は、まるでTVの再放送のように鮮明です。決して飽きることなく、いつも私の目に輝きと笑顔をもたらしてくれました。彼らを見るのは本当に楽しかったし、今でも変わりはありません。そして、私は長年にわたり一人ひとりと親しくなれたことを光栄に思っています。
JW: クリエイターとして情熱を追い求めてどれくらいが経ちますか?
DP: すべては 1998 年か 1999 年頃に始まりました。ラッキーなことに私は 10 代後半で、当時のさまざまなサーフィン雑誌やムービーにフィーチャーされる機会にも恵まれました。しかし、それらのメディアで目にするもののほとんどが、仲間たちと共有する体験とは異なっているように感じたのを覚えています。それらは似たようなイメージであり、ほぼすべてが順光で撮影され、非常にカッチリと600mmの望遠レンズで撮影され、水滴も1 滴もずれていないようなものでした。そのようなスタイルの作品は素晴らしいものですが、前にも言ったように、実際海のなかではもっと多くのことが起こっていてそれを見せるべきでした。サーファーとして私たちがしていることや経験していることにもっと共感できたはずです。
ほとんどの写真家が雑誌編集者に作品へのアプローチ方法を決めていますが、自分自身の声を持つ必要があることに気づきました。よりダイナミックな光で撮影したり、さまざまな焦点距離を使用して、サーフィンの全体的なヴァイブを捉える機会を無駄にしていました。トーマス・キャンベルと、彼のサーフムービー『The Seedling』の日本プレミアツアーの直後に、この自分の気持ちについて語り合いました。彼はサーフィンのルーツに通じるサブカルチャーについて、本当にユニークな視点を持っていた数少ないアーティストの一人でした。彼は私の不満を聞いた後、実際にカメラを手に取って、自分で見たい視覚的なストーリーを表現するように勧めたのです。日本へのトリップの直後、彼のアドバイスに従って、私は Nikon FM2 と 50mm と 300mm のレンズを手に入れ、何本ものフィルムを使い切り、その過程でたくさんの失敗をしました。それらの失敗をして私は多くを学び、新しいことに挑戦し続けて、独自のクリエイティブなストーリーを作り出す原動力となったのです。
JW: 将来に向けて、どのようなビジョンを持っていますか? JULY や他の創作活動で、どのようなものを創り、達成したいと考えていますか?
DP: 今後はJULYの一員となった非常に才能豊かな個性豊かなコミュニティメンバーとともに、ブランドのプロダクトデザインと高い品質を追求し続けていくことにワクワクしています。海の中でも外でも、彼らが互いに刺激し合い、最高の存在になるために奮闘する様子を見るのは素晴らしいことです。そして今後も、引き続き彼らのユニークな側面を新たに紹介していくのが楽しみです。過去1年でも、ブランドの品質基準を満たしたより環境に優しい素材の生産に成功し、新たなプロダクトをリリースすることができています。
ブランドがスタートしてから4年あまり、すでにこのプロジェクトに着手したときの期待をすでに上回っています。世界は依然タフな状況にありますが、私はありのままの自分であることに情熱を持ち、今後もサーフィンへの愛を共有する仲間のサポートをしていきたいと思います。私の他のクリエイティブな取り組みの結果がどうなるかは、時が経てばわかるでしょう。私は自分の直感に従い続け、人生というワイルドな旅が自分をどこへ連れて行ってくれるのかを見守っていきたいと思います。












